THE RAKE JAPAN × 日本関係人口協会
LUXURY & PLACE #01
HERMÈS × JAPAN
Craft, People & Place
エルメスと日本。
世界的メゾンが出会った、
土地と職人の物語。
フランスで生まれたメゾンは、なぜ京都の職人技に出会ったのか。THE RAKE JAPANと日本関係人口協会が、シルク、革、建築、職人、土地という接点から、エルメスと日本の関係をたどる。ブランドを礼賛するためではない。土地にある価値を見つけ、世界へ伝え、次へつなぐ方法を考える共同編集企画である。
EDITOR'S NOTE
なぜ、第一回はエルメスなのか。
知名度だけで選んだのではない。エルメスは、職人技や素材、技術の継承、建築、文化との関係を長く語ってきた。
日本との接点も、京都の染色、京都市京セラ美術館の展覧会、京都と銀座の建物に表れている。公式資料とTHE RAKE JAPANの取材から、その足跡を具体的に確かめられる。
ここで考えたいのは、地域にある価値を見つけ、意味を与え、世界へ伝え、次へつなぐ方法だ。エルメスを礼賛する記事ではなく、地域ブランディングを考える最初の事例として読む。
01
エルメスと日本
この記事で何が分かるか
店の数や鞄の人気だけでは、エルメスと日本の関係は見えてこない。この記事では、公式資料とTHE RAKE JAPANの取材をもとに、土地と職人との接点をたどる。
物語の中心は、京都の染色である。エルメスは長年探していたマーブルプリントに京都で出会い、その技法を野瀬家の「京都マーブル」が守り続けてきたと公式に記している。工房は2018年6月、その技法を使ったカレ「Marble Silk」の発売を伝えた。
接点は染色だけではない。2022年11月には京都市京セラ美術館で展覧会が開かれ、2023年11月30日には京都髙島屋の店舗が改装オープンした。
東京では2001年、レンゾ・ピアノが設計した銀座メゾンエルメスが竣工した。THE RAKE JAPANは2026年3月、クリストフ・ゴワノーに取材している。
02
京都。
世界を探したエルメスが出会った技。
エルメスと京都にはどんな関係がある?
エルメスは、長年探していたマーブルプリントの技法に京都で出会った。公式ページには、その技法を野瀬家の「京都マーブル」が守り続けてきたとある。2018年、技法はカレ「Marble Silk」に使われた。
日本語の公式ページ「世界をめぐる足跡」は、技法をこう説明している。色を付けた澱粉ペーストを組み合わせて圧縮し、絹布にマーブル模様をプリントする。
英語版は、発見までの経緯にも触れている。リヨンのテキスタイル部門に残る古いアルバムの模様は、インクジェットでは繊細さを再現できなかった。何年もの調査を経て、色付きの澱粉ペーストを圧縮するシルクのマーブリングが京都で再発見された。守り手は、野瀬家のKyoto Marbleである。
工房のサイトには、エルメス制作の映像の字幕訳がある。当初、手元にあったのは見本帳だけで、布は1930年代、40年代、60年代にプリントされたものだったという。京都で技術に巡り合うまで、10年を要したとも伝えている。
現行のエルメス公式ページの表現は「長年」である。「10年」という数字は、工房が公開した映像の訳に基づく。
映像の訳は、野瀬守可の仕事について、周囲から工程が見えないほどの技術だったとも伝える。工房のニュースには、三代目の野瀬仁彦が実演した記録もある。エルメス公式ページに出るのは家の名で、個人名は工房側の記録で確認できる。
工房は2018年6月17日、「京都マーブル」の技法で染めたカレ「Marble Silk」の発売を告知した。2019年には第2弾「Balade en Berline(ベルリンヌ馬車に乗って)」が『25ans』11月号で紹介されたとも記している。その後も同じ形で続いているかは、今回確認した公式ページからは判断できない。
京都マーブルは、自らを「世界で唯一の染色技法をもつ」と紹介している。技法の始まりは、およそ100年前のヨーロッパに置く。ただし、エルメスの公式ページは「唯一」とは書いていない。1960年代に誰が欧州から技術を持ち帰ったのかも、工房のトップページだけでは確認できない。
もう一つ、混同しないようにしたい。京都マーブルには、2012年秋に始まった自社スカーフ「パ・ドゥ・パレイユ」がある。工房によれば、国産シルクを使い、縫製も日本で行う。これはエルメスのカレとは別の仕事である。
工房サイトが示す本社所在地は京都市南区までで、番地は公開されていない。アトリエの見学も受け付けていない。
03
技術は、土地に残る。
エルメスは、職人の技をどう語っているか
この節では、エルメスが職人の技と継承をどう説明しているかを見る。手がかりは、2022年に京都で開かれた「エルメス・イン・ザ・メイキング」である。
会期は2022年11月22日から27日。会場は京都市京セラ美術館の本館南回廊1階で、住所は京都市左京区岡崎円勝寺町124だった。入場無料、オンライン予約制で、開場時間は10時から18時だった。
公式案内には、オブジェを長く使い、手入れや修理をしながら、世代を超えて受け継ぐものとして作るとある。1837年の創業以来、アトリエのノウハウは先達から渡され、今も成長と進化を続けているという。
原点は馬具の皮革である。そこから織物、プリント、クリスタル、磁器、時計、ジュエリーへと仕事が広がった。
同じページは、フランス国内の生産拠点にも触れている。過去30年、リヨンの絹織物、オート=ヴィエンヌ地方の手袋、リムーザンの磁器など、ノウハウが育った地域に拠点を置いてきたという。「技術が土地に残る」という考え方は、まずフランスの産地について語られている。
京都の展覧会に道具を持って来たのは、公式の表現では「各メチエを代表する職人たち」だ。京都マーブルがエルメスの工場だとは書かれていない。外部の工房が守る染色技術が、カレの一部に使われたという関係である。
内覧を報じたWWDJAPANは、会場に野瀬家がいたと伝えている。これは展示の報道であり、エルメスの公式記録ではない。
両者に通じるのは、長く使い、直し、人から人へ渡すという考え方だ。ただし、同じものではない。エルメスは製造の中心をフランスに置き、京都の染色は探索の末に出会った外部の技術である。二つの職人文化を一つにまとめては捉えない。
滋賀との接点も、製品の委託ではない。公式映像「HUMAN ODYSSEY」第2話は、建築家の田根剛が滋賀県高島市の工務店「三角屋」を訪ねた記録だ。親方の朝比奈秀雄に導かれ、仮組と木工を見ている。
これは、エルメスが滋賀で鞄やスカーフを作っているという話ではない。日本の建築の手仕事を訪ね、映像に残した一例である。
04
京都という場所
エルメスは京都の土地を、店舗へどう翻訳したか
この節では、京都の文化や街並みが、店舗の設計にどう置き換えられたかを見る。対象は、2023年11月30日に改装オープンしたエルメス髙島屋京都店である。
公式の英文発表は、同店を京都で唯一の店舗とし、都市の文化、建築、歴史への敬意を設計に込めたと説明している。設計は、パリの建築事務所RDAIが担当した。
床には、メゾンのフォーブル模様と京都の石畳を組み合わせた特注の石が使われた。カーペットの色は、春の桜の淡いピンクから秋の色へと移り、季節の変化を表す。
ファサードの木は、日本建築の木組みを思わせるパズル状の構成である。碁盤の目の都市構造は、セラミックタイルやVIPルーム脇の立体壁、プレタポルテのサロンを覆う畳のような織物に繰り返される。基調は、街の構成から採った土の色と、加工を抑えた素材だ。
公式発表に「組紐」とは書かれていない。日本の職人技への参照として確認できるのは、木組み、畳を思わせる布、街路の石、碁盤の目である。
発表時点で、日本国内のアドレスは35だった。現在も同じ数とは限らない。店舗は京都市下京区四条通河原町西入真町52、京都高島屋1階にあり、平屋の一フロアで16のメチエを見せると発表されている。
改装後も、店舗は展示の場を持つ。公式は、2025年6月26日から9月下旬までのウィンドウ「Secret Garden」を、角文平の作品として紹介した。
作家の言葉によれば、竹を線として使い、京都の庭とフォーブル・サントノーレの屋上庭園をモチーフにした。恒久的な建築ではなく、期間限定のウィンドウである。土地との関係は、染色、店舗、短期作品という複数の層に表れている。
05
TOKYO / GINZA
銀座メゾンエルメスは、何のための建物か
この節では、銀座メゾンエルメスが、店舗を超えてどんな役割を持つのかを見る。公式はこの建物を、日本で人を迎えるための「メゾン(家)」と説明している。
竣工は2001年。ランタンの灯りを思わせるガラスブロックの建物は、建築家レンゾ・ピアノが設計した。地下1階から4階が銀座店、8階がアート・ギャラリー「フォーラム」、10階が予約制のミニシアター「ル・ステュディオ」である。
京都の公開資料は、染色や街の意匠を店舗へどう移したかに重心がある。銀座の公式紹介は、建築に加え、展示と上映の場を強調している。これはエルメスが示した役割分担ではなく、現在読める資料の違いである。
増築年や番地の細部は、今回確認した公式紹介だけでは確定できない。
THE RAKE JAPANは、この建物の中で行われる仕事も取材している。2024年7月の「洒落者が集う、エルメスのオーダーメイド」は、地下1階のメンズフロアにオーダーサロンがあると伝える。日本でメンズのオーダーメードを扱う、限られた店舗の一つだという。
2021年2月の記事は、竹宮惠子による新版『エルメスの道』を紹介した。2001年に完成した銀座メゾンの建設が、同書の三つの主題の一つになっている。この記事では、建物の通史をそれ以上には扱っていない。
06
The People behind Hermès
エルメスをつくる人に、THE RAKEは会っている。
この節で分かるのは、シルクを統括する人が、ものづくりをどう捉えているかだ。2026年3月、THE RAKE JAPANは銀座でクリストフ・ゴワノーに会った。
ゴワノーは1987年にエルメスへ入り、2011年からメンズシルク部門とメンズユニバースのデザインを統括するクリエイティブ・ディレクターである。記事は『THE RAKE 日本版』Issue 67からの抜粋で、文はhiromitsu kosone。銀座のランタンと、メゾンエルメス地下のシルク売場から始まる。
ここでは転載せず、要点だけを紹介する。ゴワノーは、物そのものよりも、身につける人の感情に届くことを重視すると語る。スカーフのデザインは一人の専属デザイナーに閉じず、フランス、アメリカ、ポルトガル、ギリシャ、日本などのアーティストとの対話から生まれるという。
色はリヨンのカラリストが担う。糸、織り、プリント、手まつりによる仕上げ、ネクタイの縫製まで、リヨンの自社アトリエで積み重ねると説明している。女性用のカレが1937年に生まれて以来、到達点はまだ先にあるとも話した。
これはTHE RAKE JAPANの取材で、エルメスの公式声明ではない。京都マーブルも、このインタヴューには登場しない。銀座で聞いた、シルク部門を率いる人の言葉として読む。
THE RAKE JAPANでインタビューを読む07
READ THE RAKE
THE RAKE JAPANの記事から、土地、職人、素材、銀座との関係が分かるものを選んだ。商品の新作紹介は外し、上のゴワノーへのインタヴューも重ねていない。気になるテーマから、取材記事へ進める。
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Silk
ファンタジーを結ぶ、エルメスのタイ
2023年12月。1949年の最初のネクタイから、2011年以降のゴワノーによる監修までをたどる。シルクを「締めなければならないもの」から解放したという、本人の言葉も紹介する。
読む 外部サイト -
Silk
エルメスのシルク王国へようこそ
2024年3月29日、Issue 22。文はBenedict Browne。シルクの街としてリヨンをたどり、パリのオフィスにいるゴワノーを紹介する。2026年の銀座インタヴューとは別の記事である。
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Ginza
洒落者が集う、エルメスのオーダーメイド
2024年7月。撮影はNatsuko Okada。銀座メゾンエルメス地下1階のオーダーサロンを取材し、日本でメンズのオーダーメードを扱う限られた店舗の一つとして紹介する。
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Leather
エルメスの道具、そして作られるもの
2021年8月。文はNick Scott。1837年の馬具から、革を切る道具とサヴォワールフェールまでをたどる。日本固有の話ではないが、展覧会が示した「直しながら使う革」の背景が分かる。
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Watches
エルメスが考える“日常に寄り添う”時計
2021年4月。エルメス・オルロジェ社CEO、ローラン・ドルデへのインタヴュー。「日本の時計愛好家の目に触れる」という本人の発言を含む一次取材である。
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Jewellery
強さと美しさを兼ね備えたエルメスのチェーンジュエリー
2025年12月、『THE RAKE 日本版』Issue 66。ジュエリーの強度の起源を、馬具のチェーンとバックルにたどる。新作案内ではなく、技術の背景を知る記事として選んだ。
読む 外部サイト -
Heritage
エルメスの歴史を描いた新版『エルメスの道』が出版
2021年2月7日。竹宮惠子による新版を紹介する。2001年の銀座メゾン建設が、同書の三つの主題の一つに含まれるとTHE RAKE JAPANは伝えている。
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08
地域は、ここから何を学べるのか。
最後に、エルメスと日本の接点から、地域が考えられることを五つの問いに整理する。エルメスを模倣するためでも、政策用語をメゾンに当てはめるためでもない。
見たいのは、人と土地の関係が続き、技術が地域に残る仕組みだ。知が職人から職人へ渡り、世界と地域の間を人と文化が行き来する。その具体例として、エルメスを第一回に取り上げた。
技術は、人だけに宿るものではない。長い時間をかけ、場所にも蓄積していく。
世界的なメゾンと地域の職人が出会うとき、そこでは単なる商品の取引を超えた、人、技術、文化の往来が生まれる。
リヨンのアーカイブから始まった探索は、京都の野瀬家の工房に着いた。展覧会では、フランスの職人が京都市京セラ美術館を訪れた。髙島屋の店舗は、木組み、石畳、碁盤の目を売場へ翻訳した。
銀座のメゾンは、ガラスのランタンのような建物に、店、フォーラム、シアターを収めた。THE RAKE JAPANは、その地下でシルク部門の責任者に話を聞いている。
その土地でなければならない理由はあるだろうか?
京都のマーブルとの出会いは、リヨンに残る古い模様をインクジェットで再現しきれなかったことから始まった。土地に根差す理由がなければ、名前だけを重ねても価値は残りにくい。
技術や文化の背景まで、伝えられているだろうか?
2022年の展覧会は、長く使い、手入れし、修理し、世代を超えて受け継ぐという考えを示した。製品の表面だけを見ていては、土地との関係は伝わらない。
「誰が、どこで、なぜ作るのか」が見えるだろうか?
公式の記録には、技法だけでなく、野瀬家と京都の名が残されている。作り手と場所が見えなければ、価値は地域から切り離されやすい。
10年、50年、100年先に、何を残したいだろうか?
エルメスは過去30年、リヨンの絹、オート=ヴィエンヌ地方の手袋、リムーザンの磁器など、ノウハウが育ったフランスの地域に拠点を置いてきたと説明する。一季節の話題だけでは、技術は場所に残らない。
地域の外との出会いで、価値を見つけ直せないだろうか?
外から来る人に地域を消費してもらう、という話ではない。地域の外との関係によって、その土地自身が見落としていた価値を再発見できることがある。
京都の技法は、工房の外で長年探していたメゾンと出会うまで、世界のスカーフとしては語られていなかった。
地域ブランディングは、ロゴやキャッチコピーを作ることだけではない。土地にすでにある価値を見つけ、意味を与え、人へ伝え、次の世代へつないでいくことである。
エルメスを「関係人口」と呼ぶのではない。地域の外にいる人や組織との関係が、地域の価値を見つけ直し、伝え直すきっかけになるかを見ている。
SOURCES
参考資料
- Hermès「シリーズ『世界をめぐる足跡』」京都、日本。hermes.com/jp/ja/content/133576-footsteps-across-the-world/ 英語版は 同コンテンツの米国ページ。直接取得は403。検索インデックス上の公式本文を照合した。
- 京都マーブル公式。Marble Silk の告知(2018年6月17日)、映像字幕の訳(2018年7月1日)、第2弾の誌面(2019年10月9日)、自社ブランドの説明。kyotomarble.com
- Hermès「エルメス・イン・ザ・メイキング」展。会期2022年11月22–27日、京都市京セラ美術館。hermes.com/jp/ja/content/306447-hermes-in-the-making-jp/
- 京都市京セラ美術館。kyotocity-kyocera.museum 会場の公的文化施設。終了した展覧会の個別ページは、今回の取得範囲では確認していない。
- WWDJAPAN「職人の仕事を間近で見て対話もできる『エルメス・イン・ザ・メイキング』展」(内覧と野瀬家の在席)。wwdjapan.com/articles/1466356
- Hermès press release, “Hermès renovates and expands its historic store in the center of Kyoto, Japan”, Paris, 30 November 2023.PDF 店舗ページは エルメス 髙島屋京都店。
- Hermès「Secret Garden」エルメス髙島屋京都店ウィンドウ、角文平、2025年6月26日–9月下旬。公式ページ
- Hermès「銀座メゾンエルメス」。hermes.com/jp/ja/content/maison-ginza/
- Hermès「HUMAN ODYSSEY」Episode 2。田根剛、滋賀県高島市「三角屋」、朝比奈秀雄。公式ページ
- THE RAKE JAPAN「【インタビュー】エルメスのシルク王国を統括する」March 2026、文 hiromitsu kosone、Issue 67。therakejapan.com/special/interview-christophe-goineau-hermes/
- THE RAKE JAPAN 関連記事は、第07節の各リンク。画像は転載していない。
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