#05 徳山村――湖の底に沈んだ、八つの集落

霧の山間の湖と旧村の生活道具を象徴的に表現した創作ビジュアル(実景写真ではありません)
LJ / 05LOST JAPAN · A VILLAGE BELOW THE LAKE

岐阜県 揖斐川町 — 水没・移転

水の下に、八つの集落があった。地図から村名が消えても、暮らしの記憶は続いている。

8かつての集落数
466補償契約の世帯数
1987旧徳山村の自治体廃止

岐阜県揖斐川町の山あいに、徳山湖があります。

その水面の下には、かつて一つの村がありました。本郷、下開田、上開田、山手、櫨原、塚、戸入、門入。八つの集落に家があり、田畑があり、学校があり、人びとの一年がありました。

徳山ダムの建設に伴い、住民は村を離れました。1987年、徳山村は藤橋村へ編入され、自治体名としても地図から消えます。補償契約は466世帯と結ばれ、2006年の試験湛水を経て、谷は湖へ変わりました。

しかし、ふるさとは水没と同時に終わったのでしょうか。

目次

「徳山村」は一つの点ではない

旧徳山村は、福井県境に近い揖斐川上流の広い山村でした。

水資源機構の資料が挙げる集落は、本郷、下開田、上開田、山手、櫨原、塚、戸入、門入の八つです。それぞれに生活の場があり、集落間を道がつないでいました。

だから、地図に一つだけピンを置いて「ここが徳山村だった」と示すのは正確ではありません。本記事では湖面と周辺地形を示し、確認できる旧集落名を複数表示します。現在の水面の下にある位置は、旧版地形図と事業資料を照合した「概略」として扱います。

ダム計画と、全世帯の移転

徳山ダムは、洪水調節、流水の正常な機能の維持、新規利水などを目的とした多目的ダムです。計画は長い時間をかけて進み、その中心にあったのが住民移転でした。

水資源機構の公表資料では、1989年3月までに466世帯との補償契約が完了したとされています。数字は事業の規模を伝えますが、「466世帯」は466通りの移転でもあります。家、墓、隣人との距離、雪国の暮らし方まで、移せるものと移せないものがありました。

1987年4月、徳山村は藤橋村へ編入され、自治体として廃止されました。その後、藤橋村は2005年に他町村と合併し、現在は揖斐川町の一部です。

霧の山間の湖と旧村の生活道具を象徴的に表現した創作ビジュアル
VISUAL NOTE / 水没・移転徳山湖と旧村の暮らしを象徴的に重ねた創作ビジュアルです。旧集落の水中写真ではありません。

村が湖になるまで

住民が移転したあとも、谷はすぐに湖になったわけではありません。

ダム本体工事が進み、2006年9月に試験湛水が始まりました。水位が上がるにつれ、旧道や橋、かつての生活圏が水面の下へ入っていきます。徳山ダムは2008年に完成しました。

ここで「村が消えた日」を一日に決めることはできません。全世帯の移転、自治体の廃止、試験湛水、ダム完成は、それぞれ別の日です。徳山村の消失は、長い時間の中で段階的に進んだ出来事でした。

5,890点の民具が伝える生活

旧徳山村の暮らしを伝えるものは、湖の外へ運び出されています。

揖斐川町の徳山民俗資料収蔵庫には、旧村で使われた民具5,890点が収蔵されています。農具、山仕事の道具、衣食住に関わる品々は、ダム建設だけを語るのではなく、それ以前にどのような生活があったのかを伝えます。

写真家・増山たづ子は、ふるさとが沈む前の人びとと風景を撮り続けました。その写真は、事業記録とは異なる角度から、村で暮らした人の表情や時間を残しています。写真の掲載には所蔵者・権利者への確認が必要ですが、徳山村を語るうえで欠かせない記憶の層です。

湖畔に残された「帰る場所」

現在、徳山湖の近くには徳山会館があります。

揖斐川町の条例は、この施設の目的を、旧徳山村民が故郷をしのぶ場とすること、そして上下流地域の交流を進めることに置いています。失われた村を過去に閉じ込めるのではなく、旧住民、家族、訪問者、下流で水を利用する地域との関係をつなぐ場所です。

湖はダムの機能を担う現在の風景です。同時に、その下にあった暮らしを想起させる入口でもあります。

水没した村を、観光地だけにしない

徳山湖を訪れると、静かな水面と巨大な堤体が目に入ります。けれど、景観の大きさだけを強調すると、そこに暮らした人びとの選択や喪失が見えにくくなります。

記事では、旧住民の言葉を新たに掲載する場合、取材日時と同意範囲を記録します。「住民は皆反対した」「皆が納得して移転した」といった一括りの表現は使いません。公的資料で事業経過を確認しながら、個人の記憶は一人の経験として扱います。

水面の下と、いまの地域を結ぶ

徳山村は、地図から突然消えたのではありません。

移転が進み、自治体がなくなり、水が谷を満たし、湖が新しい地図に描かれました。それでも、集落名、民具、写真、元住民のつながり、徳山会館の役割は残っています。

現在の徳山湖を見ることと、かつての村を知ること。その二つを切り離さないとき、失われた場所は「昔あった村」から、いまも地域の関係を問い続ける場所へ変わります。

主な出典

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